地下鉄9号線を松江方面に乗っていると、大きく左にカーブするところがある。そこから、右手を見ると、上海で最も有名な山の一つである佘山が目に入る。天文台や教会があり、天体観測でも有名だ。その佘山からさらに西南に向かっていくと天馬山がある。日本人の間では、むしろ近くにあるゴルフ場の方が有名かもしれない。
天馬山が上海で最も標高が高いというのは、実は上海通から言わせると語弊があるかもしれない。実際は海上にある金山島が最も標高が高くなるからだ。というわけで、天馬山は上海の陸上で標高が最も高い山としておこう。
松江には昔から「雲間九峰」という呼び方があった。上海には山らしい山がほとんどないため、「九峰」というのはたいそうな呼び方だが、それでも天馬山と佘山以外に小昆山、横山、機山、鳳凰山、庫公山、薛山の9つの山(丘?)が命名された。このうち、最も標高が高いのが天馬山の98.2メートル、最も低いのが庫公山の10メートルとなっている。
天馬山はもともと「干山」と呼ばれていたが、「干将」という名剣がここで作られたからだそうだ。しかし、後世になって、この山の形が馬に似ているので天馬山と名付けられた。
興味深かったのは、このあたりに伝わる伝説として、インドの釈迦牟尼仏祖が修行していた須弥山に1頭の馬がいたが、毎日お経を聞いているうちに空を自由に飛べるようになり、ある時外を飛び出したらこの上海の松江の地にたどり着いたという。疲れて眠ってしまったら、須弥山に戻る時間に遅れてしまい、この松江の地で山となったというのだ。
まさかこの上海の松江とインドがこうして繋がるとは、さすが歴史のあるエリアである。

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護珠塔
天馬山で最も有名な観光地といえよう。建設されたのが、1079年(北宋元豊2年)で、天馬山の右の峰にあり、遠くからでもよく目立つ。
伝説によると、この地域で水害が発生したときに、時の朝廷が五色の仏舎利をこの塔の中に入れたのだという。それが塔の中で輝いたため、護珠宝光塔(護珠塔)と呼ばれるようになった。
歴史上の文献にも、朝の太陽が昇るときと太陽が沈む時に塔の周りにさらにもう一つの塔の姿がの陰影がみえ、まるで2本の塔があるように見えたという記録がある。
しかし、護珠塔は非常によく傾いている。蘇州の虎丘にも同様の塔があるが、傾く角度はそれ以上だろう。
この塔があるエリアはもともと「中峰寺」という寺院があった。しかし、戦争当時に日本人によって破壊されたそうだ。

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江南の名水、上清泉
護珠塔のそばには、小さな井戸がある。中峰寺があったころ、ここからは名水が出ていて、江南地方でも有名だった。主に、僧や参拝者に振る舞われた。当時の記録では、水は甘く、体にもいいとされた。お寺が日本軍によって破壊されるとき、僧侶はこの井戸にふたをして隠したというエピソードも残っている。
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樹齢700年の銀杏の木
宋代の将軍、周文達によって植えられたという樹齢700年の木。銀杏の最も太い部分は枯れてしまったが、周りからは緑の葉っぱが出ていた。伝説では、この木のおかげで、傾いている護珠塔が倒れずにすんだと言われている。 |
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鯉石
護珠塔から山頂に向かって歩いている途中にあった石で、鯉のような形をしている。伝説では、天馬地区に雨をもたらしてくれるのだという。 |
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3600キロある銅観音
天馬山の頂上に位置する。元々、宋代には頂上に上峰寺があった。そして、重さ3600キロもある銅の観音様が安置され、遠くからやってくる多くの参拝客でにぎわった。地元の人からは、「天馬は貧しいけど、三千六百の銅がある」と言われていた。ただ、残念ながらオリジナルの銅の観音は日中戦争当時に日本軍によって持ち去られ、今あるのは復元品だ。 |
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上海最高点
海抜98.2メートル。上海の最高点の標識がある。 |
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三高士墓
天馬山の東側には、元代の名士楊維楨・陸居仁・銭惟善のお墓があった。3人はこの地で隠遁生活を送ったという。死去後、天馬山で埋葬され、お墓が建てられたが現在は埋没してしまった。
松江地区は上海の歴史の発祥地でもある。様々な文化遺産が残っており、空気も新鮮だ。ぜひ一度ハイキングがてらにも歩いてみたいところだ。
【データ】
◎住所:
上海市松江区天馬山鎮エリア【 地図】
◎推薦交通:
1.地下鉄9号線で松江新城までいき、松江楽都路バスターミナルから「松天線」で天馬鎮へ。
2.地下鉄9号線の洞涇路駅からタクシーで天馬山へ。ただし、洞涇路駅にはタクシーはあまり多くない。
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