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第5回 王府井で文化の香り


 北京の大繁華街、王府井。金魚胡同などすっかり地名だけ「胡同」となっている所も多くなっていますが、この近くにもまだ四合院のある胡同や趣きのある街が残っています。お買いもののついでに気分を変えてお散歩することもできますよ。

 王府井大街の新東安市場から先は歩行者天国が終わります。そこから北へ向かって歩いていきましょう。しばらくすると、大きな王府井天主堂というキリスト教会が見えてきます。観光客向けにあまり公開していない北京の教会ですが、ここは自由に入って見学することができます。教会のボランティアの方が説明をしてくださいました。イタリアのカトリックの宣教師によって建てられ、300年の歴史があります。今も毎朝6時からミサが行われており、参加したい人は誰でも参加できるそうです。夜になるとライトアップされるので、それも見たいですね。


 さらに北へ歩き、王府井クラウンプラザの前の交差点を左の灯市口西街に入ると、庶民的な雰囲気に。豊富胡同を北に入ると狭い路地となり、ここが王府井とは思えないほど、静かな住宅地となります。

 豊富胡同入って間もなくすると作家、老舎の故居があり、老舎記念館として公開しています。老舎は1899年生まれ、彼の父は八カ国連合軍の北京侵攻時に戦死し、母親に育てられました。北京師範学校を卒業し、1919年の五四運動によって作家となる意志を固めます。北京で学校の先生をした後、イギリスの大学やシンガポールの中華学校に招へいされ、海外生活を送りながら作品を書いていきます。1937年に中国に戻ったものの、1946年アメリカから招待されて渡米。1949年中国に戻ってきた時に周恩来の紹介で買ったのがこの四合院です。文化関係の要職に就きながら、「茶館」などの代表作を書き、ソ連や東欧などにも訪問する多忙で充実した日々を送っていました。1966年、文化大革命で造反派から迫害を受け、入水自殺して亡くなりました。

 彼の人生の節目は20世紀の中国の歴史の節目とぴったり沿っています。

 こんな経歴を書きながら、私は老舎の作品を読んだことがありません。「茶館」という作品は劇化されており、日本でも公演されたことがあるので、ご存知の方もいるでしょう。前門の「老舎茶館」というのは老舎の「茶館」から取った名前だそうです。ぜひ作品を読んでみようと思います。

 老舎の四合院に入ると画家である妻の胡絜青が書いた「福」の字に迎えられます。家族6人が住むには十分な広さのゆったりとした四合院で、優遇された生活ぶりがうかがえます。庭には柿の木があり、ここを「丹柿小院」と呼んでいたそうです。老舎の寝室や書斎は生前使用していた様子を公開しています。


 

 豊富胡同に出てさらに北へ歩いて行きます。ひと二人がすれちがえるぐらいの路地の中を荷台の付いた三輪車が通ったり、お年寄りがお散歩していたり。静かで和めてしまいます。富強胡同を北へ行き、東廠胡同を右(東)へ曲がると再び王府井大街へ出ます。なんだか下界に降りた気分です。もう少し北へ行き、交差点に出ると瑠璃瓦が美しい中国美術館があります。随時大きな企画展も開催されているので、一度は行ってみたい美術館です。20元の入館料はこの規模の美術館ではお得。中はとても広いので、時間のある時に。 

 この辺りは画材や美術書の店がたくさんあります。美術館東街にある三聯書店は書店の代表格。中はアカデミックな雰囲気です。豪華な美術書や小さなカフェもあります。私も以前斎白石の自伝を買ったことがあります。


 その少し南にある隆福寺街はちょっとした小物や洋服などを売っている商店街。結構かわいいものも売っていて、ついつい見てしまいます。

 五四大街を西へ5分ぐらい行くと、赤い煉瓦の古い洋館が見えます。旧北大紅楼で、1918年に建てられた北京大学のかつてのキャンパスです。当時の学長や教授たちは中国共産党発足時のブレインが多くいます。五四運動が始まった場所としても有名で、中は五四運動の記念館として公開しています。五四運動は1919年第一次世界大戦の戦勝国だった日本が、戦後処理として対華21カ条の要求を国際社会で認めさせたことを、北京大の学生、教授が不服としたことから起きた反日運動です。

 紅楼の中には当時の北京大学の教室を再現している部屋もあります。魯迅もここで教鞭を取ったのでしょう。当時の教室の椅子に座ることもできるのは太っ腹な配慮。毛沢東はここで図書館員として働いていました。下働き程度の給料で働いていた毛沢東が使っていた小さな机が今も展示してあります。

 繁華街王府井の近くでもこんなに文化の香りのする場所を見ることができます。遠くまで動き回る時間のない時にぜひどうぞ。

老舎記念館
東城区灯市口西街豊富胡同19号/9:00-17:00/ 入館料:10元

中国美術館
東城区五四大街1号/ 9:00-17:00/ 一般入館料:20元

旧北大紅楼
東城区五四大街29号/ 8:30-16:30/ 入館料:5元


(林 秀代 2007年11月記)

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《全 2 件》1 件~ 2 件
中国生活のベテランですね〔記事番号:hu05
投稿者:Hideyoさん 投稿日:2008年01月12日 投稿番号:44
井上様コメントありがとうございます。中国生活が長いのですね。金魚胡同が本当の「胡同」だった頃をぜひ見てみたかったです。貴重な思い出ですね。北京の胡同はどんどんなくなってきていますが、修理して保存することも行われています。また北京に来られた時は胡同歩きを楽しんでみてください。私もその時にご参考にできるような記事を書いていきたいと思います。

思い出の金魚胡同〔記事番号:hu05
投稿者:井上@打浦橋@上海さん 投稿日:2008年01月10日 投稿番号:43
はじめまして、上海に住む井上と申します。上海には、もう10年住んでいます。その前は北京に1年。大昔は天津の塘沽に3年住んでました。当時、日本料理屋は北京に3軒あるだけ。ということで、2ヶ月か3ヶ月に1回、北京に1泊して日本料理を食うのが楽しみでした。北京では、いつもレンタサイクルで、アッチャコッチャ行ってました。友誼商店の前が野ッパラで、そこに掘っ立て小屋があって自転車を貸していました。ホテルは、いつも金魚胡同の和平飯店でした。そう、当時は、金魚胡同も本物の胡同だったんです。王府井からの入り口には東来順と四聯という理容院があり、その対面には、どでかい掘っ立て小屋って感じの東安市場がありました。その狭い胡同を奥に行きますと、左に和平の入り口があり、それを超えてチョイ行った左に、洋食っぽいものを出す小さな食堂なんかもありました。王府井天主堂ですが、当時は、全く道からは影も形も見えなかったような・・・・。隠していたんでしょう。あんなに大っぴらに顔を出し始めたのは、まだ10年も経ってないでしょう。上海でもそうです、最近になって顔を出し始めた教会があります。北京は、今でも、年に1・2回行きます。行くと、最低でも2週間、長けりゃ2ヶ月くらいはいますね。北京に居る間は、胡同を歩き回っています。胡同には、面白い名が多いですね。豆腐池胡同とか・・・・・一番長い胡同とか、一番せまい胡同とか、一番短い胡同とか、そういうところを探して、巡り歩きたいもんです。

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