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■■第13回 幼稚園卒園■■

とうとう1年間通った幼稚園も卒園の時期が来ました。
卒園が近くなると慌ただしくなります。子どもは卒園式の時のパフォーマンスの練習や小学校が別になったり、帰国してしまうお友達とのお別れが近いので、毎日のように遊びの約束をして帰ってきます。私は、クラスで行う先生へのプレゼントの準備をまとめてやってほしいと頼まれ、各家庭からお金を集めて記念品、クラスの子どもたちからのメッセージブック、お花の準備に奔走。そしてクラスの子どもたちへもプレゼントを用意しました。一方先生からは私に卒園式で親代表のスピーチをしてほしいという依頼もありましたが、さすがにいろんな役を一手に引き受けるのはたいへんなので、香港人のお父さんにお願いすることにしました。
1年間の子供のレポートをもらいました。
おそらくほとんどはおまけだと思いますが、全体的に前回と比べるとスコアはとてもよくなっていました。先生は後半の半年は子供が大きく積極的に変化したと言っていました。初めの半年は情報を自分の頭の中で蓄積し、整理していたような気がします。後半の半年で外に向けて弾けるように発信し始めました。
クラスのお友達は始めから最後までとても素敵な子どもたちでした。転入してきた子どもの世話をすすんでしてくれた女の子たち。男の子たちも言葉のよくわからないうちの子どもと仲よく遊んでくれました。小さいのにそれぞれの子ども達の「違い」をよく理解していて素晴らしいと思いました。先生は国籍も男女比もバランスがとれていたのでクラス運営がしやすく、いいクラスをつくれたと満足げでした。
私から見ると先生の器の大きさは偉大です。
子どもたちの良い点を実によくわかっていて、私がお迎えに行くとよく「誰々は今日素晴らしかった。」とか、「誰々はこんなことが得意なんだ。」とよく教えてくれました。同じような話しをクラスでも話していたのでしょう。子どももよく「誰々はこういうことはよくできる。」と友達を誉めていたことがよくありました。
子どもにとって最後の半年は幼稚園では英語での自己表現が豊かになった期間ですが、自宅ではつらい時期を送っていました。
私たちの住居は日本人の多い公寓でした。子どもと同い年の子ども達は4月から小学生。そのほとんどは日本人学校へ通います。うちの子どもは4月以降も幼稚園児だったので、遊びの中で何かと「幼稚園児はこっち」、「幼稚園児はだめ」と指摘され、仲間はずれにされることが度々ありました。外へ遊びに出てもつまらなそうな顔をしてすぐに帰ってきたり、泣いて帰ってきました。
でも子どもが日本人学校に行くとか、幼稚園をやめたいと言ったことは一度もありませんでした。私は子どもの幼稚園にお友達がたくさんいること、幼稚園でも「学んでいる」ことを誇りに思うように励ましました。また幼稚園は6月で卒園するので、永遠に子どもが「幼稚園児」でいるわけではないこと、他人や個人の違いを認めることは大切なのだと何度も言いました。
それから、「お母さんはいつもあなたの味方だから安心しなさい」と。
子どもは自分の最近の進歩も、自分が進むべき道もよくわかっていたのだと思います。その年の夏の日本人学校の体験入学にも興味を示さず、幼稚園を卒園した後のサマーキャンプも同じ幼稚園のキャンプに行きたいと言ったので参加させました。それほど子どもにとって幼稚園は安心できる大好きな場所だったのでしょう。
卒園式のパフォーマンスで力いっぱいイキイキと歌ったり、踊ったりしている子どもを見て、この1年間の心配や戸惑いなど吹っ飛び、計り知れないほど嬉しくなった私でした。これから別の国へ行ってしまう子ども達とはおそらく一生再会できないでしょう。でもせめてお互いの心の中に記憶に残ればいいなと思うとジンとしてしまいました。
1歳から団体生活を送っている子どもにとって、年長の年に環境が大きく変わるリスタートだったにも関わらず、何事もポジティブに挑戦してくれました。大きくなって子どもが壁にぶつかったらこの1年の頑張りぶりを話してあげようと思います。
それから、あの底抜けにあっけらかんとした先生に感謝です。初日から子どもを真正面に受け止め、良い点を引き出し、全身をフルに使って遊んでくれました。子どもにとっては、先生であり、アニキであり、友達でもある存在でした。あんな先生ちょっといません。
次回から小学校編です。
(林 秀代 2007年11月記)
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