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■■第1回 幼稚園選び■■
反日デモの直前、夫は中国駐在のため日本を発ちました。その1ヵ月後、私と息子は1週間の予定で住居に落ち着いた主人を訪ねて、初めて中国、北京の地を踏みました。目的は住宅を見て中国へ発送する物を決めること、そして子どもの幼稚園選びです。
夫の中国駐在が決まった後、早速「北京便利帖」を買い、幼稚園の状況を調べました。現地幼稚園か、インターナショナル系の二種類と思っていたら、日系とバイリンガル系もあり、豊富な選択肢があることに安心しました。息子は5歳。私が働いていたため、保育園の年長組に上がるところでした。すでに日本での団体生活には慣れています。
せっかくの海外生活ですから、地域性や国際性を生かした教育も受けさせたい。でも初めから欲張ると英語も中国語もわからないためストレスが大きいかと思いました。幼稚園はあと1年だけなので、英語のインターナショナル幼稚園にターゲットをしぼって探すことにしました。
新しいもの好きの息子は中国に引っ越すことを楽しみにしているようでした。外国というとアメリカ以外は知りません。中国に関する知識はほぼゼロのところに反日デモが起き、治安の不安や夫の身の安全に加えて、これから住む北京に対して息子が悪いイメージを持たないか不安でした。荒々しい映像はテレビで見るものの、幸い小さいためか本人はよくわかってなかったようです。
まずは自宅から通えそうな所の幼稚園を数校選びました。学費は年間大体100万円から120万円。後はとにかく見てみないと判りません。日本を発つ前に候補の幼稚園へ見学希望のメールを書きました。1校だけは返事が来ませんでしたが、他はいつでも見学に来てくださいとのことでした。
北京に着いた翌日、「ニーハオ」と「シエシエ」しか判らないにもかかわらず、メモと地図を持ち、息子と二人タクシーに乗って幼稚園見学に出かけました。
一校は幼稚園から高校まである一貫校です。あいにく子ども達は遠足に出かけて不在でした。その学校近くの別の幼稚園は西洋人の子ども達が多くいる園で、子ども達が大人しい印象を持ちました。子どもも興味を示しませんでした。
その後自宅から歩いて通える園にも見に行きました。中庭で息子は口ひげをたくわえた大きな男性に釘付けになりました。アメリカ人男性の先生が、子どもたちをヒョイと持ち上げ、大きな声を上げ、子どもをグルグル回して遊んでいるのです。おそらく今までの彼の保育園生活では考えられなかった「絵」で、完全に肝を抜かれた状態。「おかーさん、ぼくここがいい!」と言ったのでした。
親としては他にも見るべき点が山ほどあります。衛生状態やひとクラス中の日本人の割合、ランチの内容、1日のカリキュラム、園庭や遊具、そしてオフィスの対応、など。ランチは豊富なメニューで楽しそうでした。日本人の割合はその年によっては多かったり、少なかったりするそうです。その幼稚園では毎日午前中にランゲージアーツや簡単な算数、科学などのお勉強があります。所詮幼稚園ですから、子どもが新しい環境の中で毎日元気に楽しく通ってくれることが第一なので、結局子どもの希望した園に入れることにしました。
渡航準備と仕事と家事でドタバタの中、日本での入園準備も始めていました。インターナショナル幼稚園に入れようと決めたときから、英会話教室に週1回通わせました。3ヶ月間だけなので、英会話というよりも、「おしっこ!(Pee-pee!)」などのとっさの一言が言えたり、先生の簡単な指示が聞き取れればよしです。
英会話と同時にしたのが、ひらがなとカタカナを書く練習です。北京の自宅公寓では日本語のテレビチャンネルも多く、日本人の住民が多数なので、会話での心配はしていません。しかし日本語の読み書きはこれからの生活で、段々学ぶ意味が薄れてくる可能性があるので、ひらがなとカタカナは日本で覚えさせたいと思っていました。本人もちょうど字を書きたい時期ということも幸いして、すすんで覚えました。完璧に全てを覚えるところまでは無理でしたが、ひらがな、カタカナ表で調べたり、私に聞くなどして、なんとか書けるようになりました。
私が以前働いていた職場には外国人が多くおり、以前から彼らを自宅に招いたり、招かれたり、一緒に出かけることがよくありました。当然お子さんがいる人もおり、一緒に遊んでもらいます。子ども同士では言葉が通じることよりも、「気が合う」ことがやはり肝心。何度か遊んでいるうち、仲の良いお友達もいました。同僚の中にも息子をかわいがってくれる人もいました。外国人、日本人を問わず、誰とでも仲良くなれることは学べたと思います。
そうして、2005年7月私と息子は北京へ引っ越しました。サマースクールより幼稚園に入ります。
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